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映画に見るジャンヌダルク(ジョン・オブ・アーク):伝説の最後の言葉から『ジャネット』と『ジャンヌ』まで

ジャンヌ・ダルクは、中世フランスの歴史において、異例の英雄として知られています。

17歳でフランス軍を率い、19歳で異端審問による火刑で悲劇的な終わりを迎えた彼女の生涯は、国家の運命を変えるほどの影響力を持ちました。

この記事では、ジャンヌ・ダルクの生涯、彼女の最後の言葉、そして彼女が遺した永続的な遺産について掘り下げていきます。

彼女の勇気と信仰、そして悲劇に満ちた人生は、時を超えて多くの人々を魅了し続けています。

イメージ画像:フルアーマーで描かれたジャンヌ・ダルク。

ジャンヌダルク最後の言葉:伝説の始まり

ジャンヌダルクという名前は、世界中の多くの人々に知られていますが、彼女がどのような人物であったのか、どのような経緯でその名を歴史に刻んだのかは、意外と知られていないことも多いです。

この記事では、ジャンヌダルクの生涯と最後の言葉に焦点を当てて、彼女の伝説の全貌を解き明かします。

ジャンヌ・ダルクは何した人?

ジャンヌ・ダルク、1412年生まれのフランスの農村出身の少女は、中世ヨーロッパ史上でも特異な存在として知られています。

15世紀、フランスとイングランドが対立していた百年戦争の中、ジャンヌは13歳で神の声を聞くと主張し、17歳でフランス軍を率いることになりました。

1429年、彼女の率いる軍はオルレアンの包囲を解き、その後もパテーの戦いでの勝利など、フランスの再統合に向けた重要な転機を作り出しました。

しかし、彼女の急速な台頭は敵対するイングランドとその同盟者にとって脅威であり、1430年に捕縛され、異端審問の末、1431年5月30日にルーアンで火刑に処されました。

彼女が亡くなった時、彼女はわずか19歳でした。その後、1456年にカトリック教会による復権裁判が行われ、ジャンヌの名誉は回復されました。

ジャンヌダルクの時代と世界の動き

ジャンヌ・ダルクの生涯ジャンヌの年齢世界の動き日本の状況
1412ドンレミ村でジャンヌ・ダルク誕生0歳15世紀の始まり、ヨーロッパ国家形成の時代室町時代、足利義満死去の後、足利義持が将軍
1429オルレアン包囲戦でフランス軍を勝利に導く17歳百年戦争の中期、ヨーロッパでの政治・軍事変動室町時代中期、足利義教が将軍
1430ブルゴーニュ派に捕らえられる18歳ヨーロッパでの政治不安定化足利義教の治世、地方領主の力の増大
1431ルーアンで異端審問、火刑に処される19歳宗教・政治的紛争の激化足利義教の時代、国内の不安定化
1453百年戦争が終結百年戦争の終結、新たな時代の到来室町時代後期、応仁の乱に向かう動き
1456ジャンヌ・ダルクの名誉回復カトリック教会の影響力の変化、宗教改革の始まり戦国時代が本格化、地域領主たちの争いが激化
イメージ画像:フランスの中世の村の壮大な景色。

17歳の若さでフランス軍を導いた理由と時代背景


ジャンヌ・ダルクが17歳でフランス軍を指揮できた理由は、彼女の非凡な信仰心、その時代の宗教的・政治的背景、そして独自のカリスマ性にあります。

  1. 信仰心と神秘的体験:ジャンヌは13歳の頃から「神の声」を聞くという神秘的な体験をしていました。彼女はこれを、神がフランスを救うために彼女に特別な使命を与えたと解釈し、深い信仰心を持っていました。
  2. 時代の危機感:ジャンヌが活躍した15世紀のフランスは、百年戦争により深刻な危機に直面していました。国は分裂し、人々は絶望していたため、ジャンヌのような救世主を求める声が高まっていました。
  3. 政治的・軍事的必要性:ジャンヌが王太子シャルルに面会し、軍を率いる許可を得たのは、彼女の信念が強く、またシャルル側が戦況を好転させるための新たなシンボルとして彼女を必要としていたためです。
  4. カリスマ性とリーダーシップ:ジャンヌは自信に満ちた強いカリスマを持ち、軍人たちを鼓舞する能力がありました。彼女の存在自体が、フランス軍に新たな活力を与え、士気を高めました。
  5. 宗教的正当性:当時のフランスでは宗教が社会に大きな影響を及ぼしていました。ジャンヌが神の意志を代弁するという立場は、多くの人々にとって納得のいくものであり、彼女の軍事的役割を正当化しました。

このような要因が組み合わさり、ジャンヌ・ダルクは若いながらもフランス軍を指揮することができたのです。

彼女の存在は、当時のフランスにとって希望の象徴であり、国家の運命を変える重要な役割を果たしました。

ジャンヌ・ダルク:17歳でフランス軍を導いた姿を描いたイメージ画像

ジャンヌダルクの性格:内面の強さと信念


ジャンヌ・ダルクの性格は、彼女の時代を超えた行動によって顕著に表れています。

彼女は非常に信仰心が厚く、その信仰に基づく内なる声に従って行動しました。

当時の女性としては極めて珍しく、自信に満ち溢れた軍指揮官として知られています。

ジャンヌは自己犠牲の精神を持ち合わせており、フランスの解放という大義のために自らを捧げました。

また、彼女の勇敢さ、決断力、そして若くして示したリーダーシップは、後世の多くの人々に大きな影響を与えています。

彼女の行動は、当時の女性に対する社会的な制約を打ち破るものであり、今日でも多くの女性たちにとって大きなインスピレーションの源となっています。

ジャンヌダルクの恋人は?:恋愛関係の不在

ジャンヌ・ダルクに関する史料や記録では、彼女の個人的な恋愛関係についての言及はほとんど見られません。

彼女の短い人生は、主に戦いと信仰に捧げられていたため、恋愛よりも彼女の軍事的な活躍や神への深い献身が中心的に語られる傾向にあります。

ジャンヌ・ダルクの伝説は、彼女の強い信念と勇敢な行動、そして若くして示したリーダーシップによって形成されています。

また、彼女の純粋さと神への絶対的な信仰が強調されることにより、個人的な恋愛関係の有無は彼女の伝説において重要な要素とは見なされていないようです。

ジャンヌダルク最後の言葉:運命の終焉

ジャンヌダルクの生涯は、彼女の最後の言葉に象徴されるように、深い信仰と不屈の精神、そして悲劇的な結末に満ちています。

火刑の際に彼女が口にした言葉は、後世に大きな影響を与え、彼女の伝説を永遠のものにしました。

異端審問:政治と信仰の葛藤

ジャンヌ・ダルクが異端審問にかけられたのは、1431年のことでした。

彼女が捕獲された後、イングランド支配下のルーアンで行われたこの審問は、教会の教義に反する行動と信念を理由に異端として告発されたものです

。審問は、ピエール・コーション司教によって指揮され、多くの宗教学者が参加しました。

ジャンヌは、男装をすること、自らが神の声を聞いたと主張することが、当時の教会の規範に反していると見なされました。

また、彼女が持つ政治的な影響力とフランス王太子シャルル(後のシャルル7世)への支持が、イングランドとブルゴーニュ派フランス人にとって脅威であったため、この審問は彼らの政治的な利害にも影響を受けていました。

審問過程では、ジャンヌが自らの信念を堅く守り続けたことが記録されています。

しかし、最終的には異端として有罪判決が下され、火刑の刑が執行されました。

ジャンヌ・ダルクの異端審問は、中世ヨーロッパにおける政治と宗教の複雑な関係を象徴する出来事として、歴史にその名を刻んでいます。

ジャンヌダルクが火刑に処された理由と最後の言葉

ジャンヌ・ダルクの火刑に至った背景には複雑な要因が絡み合っています。

一つの重要な理由は、彼女が男性の軍服を着用して戦場に立ったことが、当時のカトリック教会の性別に基づく規範に反したことです。

また、彼女が「神の声」を直接聞いたと主張したことも、教会の正統性を脅かすとみなされました。

彼女の裁判と処刑は、異端審問という形で行われ、この時代の教会の影響力のもとで実施されました。

イングランドと協力関係にあったブルゴーニュ派フランス人による政治的な動きも、彼女の処刑に影響を与えました。

1431年5月30日、フランスのルーアンにあるヴィエ・マルシェ広場で、ジャンヌ・ダルクは火刑に処されました。

この悲劇的な瞬間、ジャンヌは立会人に対し、自身の視界に十字架を置くよう要請しました。炎が彼女を包み込む中、ジャンヌは「Jésus(イエス・キリスト)」という言葉を何度も繰り返し叫びました。

この一連の行動は、彼女が最期の瞬間まで深い信仰心を持ち続けていたことを物語っています。

彼女のこの最後の言葉は、その信念の深さと、死を前にしても変わらない神への絶対的な信頼を象徴しています。

また、別の伝承によると、ジャンヌが「お母さん」と呼びかけたとも言われていますが、この記述は歴史的文献には基づいておらず、より伝説的な側面が強いと考えられます。

このバージョンは、ジャンヌの人間らしい一面、特に家族への愛情を強調するものですが、歴史的な裏付けは薄いです。

ジャンヌ・ダルク像

その後は名誉回復と永続的な遺産

ジャンヌ・ダルクの処刑から25年後の1456年、彼女の家族は彼女の名誉回復を求めて新たな裁判を開始しました。

この復権裁判では、前回の異端審問の不公正さが明らかにされ、ジャンヌにかけられた異端の烙印が正式に取り消されました。

裁判の結果、ジャンヌ・ダルクは無実の人物として、その名誉が回復されました。

ジャンヌの物語はその後、フランスの民族的アイコンとして、そして世界中で勇気と信仰の象徴として語り継がれてきました。

彼女の人生は数々の文学作品、映画、戯曲に影響を与え、彼女が残した歴史的足跡は今日も多くの人々に感銘を与えています。

1920年には、カトリック教会により正式に聖人として列聖され、その信仰と献身が公式に認められました。

ジャンヌ・ダルクの遺産は、単なる歴史上の人物を超え、現代においても平和、正義、そして女性の力強さのシンボルとして重要な役割を果たしています。

彼女の人生と遺産は、今後も多くの世代にわたって伝えられ続けることでしょう。

使命感を反映する名言

ジャンヌ・ダルクは、彼女の短いが影響力のある生涯を通じて、多くの印象的な言葉を残しました。

その中でも特に有名なのが、「私は生きるために生まれてきたのではなく、使命を果たすために生まれてきた」という言葉です。

この名言は、彼女の内なる強さ、使命感、そして自己の運命に対する深い理解を象徴しています。

ジャンヌ・ダルクのこの言葉は、彼女が直面した困難や挑戦にもかかわらず、自らの信念を貫き通した強い意志を表しています。

彼女は、自分が神から特別な使命を与えられたと信じており、その信念は彼女を導く力となりました。

この名言は、後世の人々に対しても、信念を持ち続ける重要性と、自分の運命に積極的に向き合う姿勢を示すものとして、多大な影響を与えています。

ジャンヌ・ダルクのこのような名言は、彼女がフランスの民族的英雄としての地位を確立する要因の一つとなり、彼女の遺した言葉は今日でも多くの人々にインスピレーションを与え続けています。

ジャンヌダルクの遺した遺産と家族の継承

ジャンヌ・ダルク自身は結婚せず、子供を持たなかったため、直接の子孫は存在しません。

しかし、彼女の兄弟たちは子孫を残し、ジャンヌ・ダルクの遺産は彼らを通じて伝承されています。

ジャンヌの家族は、彼女の名誉回復のために努力し、彼女が聖女としてカトリック教会に認定される過程で重要な役割を果たしました。

ジャンヌ・ダルクの兄弟の一人であるジャン・ダルクは、彼女の死後、フランスの法廷で彼女の名誉を守るために活動しました。

この努力は、1456年に行われた復権裁判での成功につながり、ジャンヌの異端の烙印は取り消されました。

ジャンヌ・ダルクの家族の中で最も有名な子孫の一人はシャルル・デュ・リスで、彼はジャンヌの兄ジャンの孫にあたります。

シャルルはアンリ4世に仕える法律家として活動し、ジャンヌ・ダルクの遺産を維持するために尽力しました。

ジャンヌ・ダルクの家族とその子孫は、彼女の伝説を現代に伝える重要な橋渡し役となっています。

彼らの努力により、ジャンヌ・ダルクの物語はフランスはもちろん世界中の人々に知られるようになり、多くの文化的、歴史的作品の題材となっています。

ジャンヌ・ダルクの遺産は、彼女の家族の努力によって後世に大切に引き継がれているのです。

伝説を再現した作品の魅力

ジャンヌ・ダルクの生涯は、そのドラマティックな物語と象徴的な意味合いから、様々な作家やクリエイターによって描かれてきました。

特に、学習漫画や映画など、異なるメディアを通じて彼女の伝説が新たな観点から表現され、読者や視聴者に深い印象を与えています。

学習漫画:『ジャンヌ・ダルク フランスを救ったオルレアンの乙女』(高瀬直子)

高瀬直子によるこの学習漫画は、ジャンヌ・ダルクの物語を若い読者に向けてわかりやすく描いています。

この作品では、ジャンヌの生涯が丁寧に再現され、彼女の内面的な葛藤や、当時のフランスの社会的・歴史的背景が繊細に表現されています。

読者は、ジャンヌの強い信念と勇敢な行動を通じて、彼女の物語の奥深さを感じ取ることができます。

特に、若い読者にとって、歴史を学ぶ上で親しみやすく、教育的な価値も高い作品です。

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映画に見るジャンヌダルクの伝説

ジャンヌダルクの英雄的な生涯は数多くの映画製作者によって異なる視点から描かれてきました。ここでは、その中でも特に注目すべき2つの映画作品を紹介します。

『ジャンヌ・ダルク』(1999年、主演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、監督:リュック・ベッソン)

1999年に公開されたリュック・ベッソン監督のこの作品は、ジャンヌダルクの生涯を壮大なスケールで描き出しています。

ミラ・ジョヴォヴィッチ演じるジャンヌは、彼女の情熱、葛藤、そして不屈の精神を見事に体現しており、中世のフランスとジャンヌの戦いの世界が、豪華なセットデザインと迫力ある映像美でリアルに再現されています。

この映画は、視覚的な迫力とドラマチックな物語で、観る者をジャンヌの時代へと引き込みます。

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『ジャネット』と『ジャンヌ』(2021年、監督:ブリュノ・デュモン)

ブリュノ・デュモン監督による2部作『ジャネット』と『ジャンヌ』は、2021年に劇場公開され、ジャンヌダルクの物語に新たな光を当てています。

『ジャネット』は、ジャンヌが少女時代に神の声を聞き、戦争に身を投じる決意をする様子を描いており、リーズ・ルプラ・プリュドムの演技がジャンヌの内面の葛藤と成長を繊細に表現しています。

続編の『ジャンヌ』では、フランス王の軍隊を率いたジャンヌの戦果と、最終的に反発を受けイギリス側に捕らえられるまでの彼女の旅路を追います。

この2部作は、ジャンヌダルクの伝説に深みを加え、彼女の信念と犠牲を現代的な視点から見直す映画です。

映画『ジャネット』『ジャンヌ』予告編

シネマトゥデイ



ジャンヌダルク最後の言葉:まとめ

  1. ジャンヌダルクは15世紀フランスの象徴的な戦士
  2. 神の声を聞いたと称し、17歳でフランス軍を指導
  3. 百年戦争の最中、フランスの民族意識形成に影響
  4. 異端と見なされ、火刑に処される
  5. 処刑時19歳という若さ
  6. 最後の言葉は「イエス」であり、信仰の深さを示す
  7. 火刑後も心臓が焼け残ったという伝承がある
  8. 死後、聖女としてカトリック教会に認定
  9. 異端審問は政治的意図が強い不公平なもの
  10. 死後、名誉回復され、フランスのアイデンティティの一部に
  11. 多くの名言を残し、使命感と運命への深い理解を示す
  12. 子孫はないが、兄弟の子孫が後世に残る
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