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松田聖子と中森明菜のシングルを年代順に比較|1982〜1989年

2026 8/06
音楽
2026年8月6日
本ページには広告が含まれています。
明るいステージとドラマチックなステージに立つ1980年代風の二人の女性歌手

1980年代を代表する女性歌手と聞いて、松田聖子さんと中森明菜さんを思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。

華やかで明るい曲を歌う松田聖子さん。

低い声と深い表現で、大人びた物語を歌う中森明菜さん。

テレビの歌番組では、二人の新曲が同じ時期にランキングへ入り、「ライバル」として比較されることもありました。

ただし、二人は同じ年にデビューしたわけではありません。

松田聖子さんは1980年4月1日に「裸足の季節」でデビュー。中森明菜さんは、その2年後となる1982年5月1日に「スローモーション」でデビューしました。

明菜さんが登場したころ、聖子さんはすでに、

  • 青い珊瑚礁
  • 風は秋色
  • 夏の扉
  • 白いパラソル
  • 赤いスイートピー

などを発表し、人気歌手として活躍していました。

この記事では、どちらが上だったのかを決めるのではなく、二人が同じ時代にどのようなシングルを発表していたのかを年代順に比べます。

目次

松田聖子と中森明菜の基本情報

松田聖子中森明菜
デビュー日1980年4月1日1982年5月1日
デビュー曲裸足の季節スローモーション
デビュー時期1980年組花の82年組
代表的な記録シングル24曲連続1位日本レコード大賞2年連続受賞
主な魅力明るさ、透明感、ポップ性低音、陰影、物語性

松田聖子さんは、3枚目のシングル「風は秋色」で初めてチャート1位を獲得。その後、1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続1位という記録を達成しました。

中森明菜さんは、1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「DESIRE -情熱-」で、2年連続日本レコード大賞を受賞しています。

1982年|聖子は「赤いスイートピー」、明菜がデビュー

松田聖子中森明菜
1月21日 赤いスイートピー5月1日 スローモーション
4月21日 渚のバルコニー7月28日 少女A
7月21日 小麦色のマーメイド11月10日 セカンド・ラブ
10月21日 野ばらのエチュード

1982年、松田聖子さんは「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「野ばらのエチュード」を発表しました。

「赤いスイートピー」は、呉田軽穂(くれたかるほ)名義の松任谷由実さんが、初めて松田聖子さんに提供した作品です。

その年の5月、中森明菜さんが「スローモーション」でデビューします。

静かなバラードで始まった明菜さんですが、約3か月後には反抗的な「少女A」を発表。

さらに3枚目の「セカンド・ラブ」で、初めてオリコン週間シングルランキング1位を獲得しました。中森明菜さんの1982年のシングルは、公式ディスコグラフィーでもこの3作が最初の作品として掲載されています。

1982年の日本のレコード店で女性歌手のレコードを見る人々
1982年、中森明菜さんがデビューしたころ、松田聖子さんはすでに数多くのヒット曲を発表していました。

ちょっと一息

松田聖子さんと中森明菜さんは、同じ1980年代アイドルとして並べられますが、デビューは2年違います。

1982年の時点では、聖子さんはデビュー3年目、明菜さんは新人でした。

最初から同じ地点に立っていたわけではないのです。

1983年|聖子の「SWEET MEMORIES」と明菜の「禁区」

松田聖子中森明菜
2月3日 秘密の花園2月23日 1/2の神話
4月27日 天国のキッス6月1日 トワイライト -夕暮れ便り-
8月1日 ガラスの林檎/SWEET MEMORIES9月7日 禁区
10月28日 瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ

松田聖子さんは「秘密の花園」で、シングル10作連続1位を達成しました。

「SWEET MEMORIES」は当初、「ガラスの林檎」と組み合わされた作品として発売されました。ビールのCMをきっかけに注目され、後にジャケットを変更した両A面版も発売されています。

一方の中森明菜さんは、「1/2の神話」「トワイライト -夕暮れ便り-」「禁区」を発表しました。

「1/2の神話」と「禁区」では強く挑発的な言葉を歌いながら、「トワイライト」では繊細な恋心を表現しています。

このころから、

  • 聖子さんは、色彩や風景が浮かぶ恋愛歌
  • 明菜さんは、主人公の心の葛藤を描く歌

という違いが、少しずつはっきりしていきました。

1984年|聖子の「Rock’n Rouge」と明菜の「北ウイング」

松田聖子中森明菜
2月1日 Rock’n Rouge1月1日 北ウイング
5月10日 時間の国のアリス4月11日 サザン・ウインド
8月1日 ピンクのモーツァルト7月25日 十戒(1984)
11月1日 ハートのイアリング11月14日 飾りじゃないのよ涙は
12月15日 北ウイング/リ・フ・レ・イ・ン

1984年は、二人の個性が特にはっきりと表れた年です。

松田聖子さんは、

  • Rock’n Rouge
  • 時間の国のアリス
  • ピンクのモーツァルト
  • ハートのイアリング

と、華やかで色彩豊かなタイトルの曲を発表しました。

中森明菜さんは、「北ウイング」「サザン・ウインド」と旅や異国を思わせる曲を歌ったあと、「十戒(1984)」「飾りじゃないのよ涙は」で強い感情を前面に出しました。

同じ恋愛を歌っていても、

  • 聖子さんの曲には、恋が始まる前の期待
  • 明菜さんの曲には、恋の中にある葛藤

が感じられる作品が多くあります。

ただし、聖子さんにも「SWEET MEMORIES」のような大人びた曲があり、明菜さんにも「トワイライト」のような柔らかな曲があります。

単純に「明るい聖子、暗い明菜」と分けることはできません。

1985年|聖子の「天使のウィンク」と明菜の「ミ・アモーレ」

松田聖子中森明菜
1月30日 天使のウィンク3月8日 ミ・アモーレ
5月9日 ボーイの季節5月1日 赤い鳥逃げた
6月24日 DANCING SHOES6月19日 SAND BEIGE -砂漠へ-
10月9日 SOLITUDE

松田聖子さんの「天使のウィンク」は、尾崎亜美さんが作詞・作曲した明るいポップソングです。

同年には映画主題歌の「ボーイの季節」と、英語詞による12インチシングル「DANCING SHOES」も発売されました。

中森明菜さんは「ミ・アモーレ」で、1985年の日本レコード大賞を受賞しました。

ラテン音楽の要素を取り入れた曲で、当時19歳だった明菜さんの大人びた歌唱と表現力を強く印象づけました。

1985年の二人を比べると、

  • 聖子さんは、日本のアイドルポップから海外を意識した音楽へ
  • 明菜さんは、情熱的で演劇性のある歌謡曲へ

と、それぞれ違う方向へ進み始めたことが分かります。

1986年|聖子はシングルを発表せず、明菜は「DESIRE」

松田聖子中森明菜
シングル発売なし2月3日 DESIRE -情熱-
5月26日 ジプシー・クイーン
9月25日 Fin
11月10日 ノンフィクション エクスタシー

松田聖子さんの公式シングル・ディスコグラフィーには、1986年のシングル作品が掲載されていません。

一方、中森明菜さんは「DESIRE -情熱-」を発表し、前年の「ミ・アモーレ」に続いて日本レコード大賞を受賞しました。

ボブ風のかつら、和洋折衷の衣装、独特の振り付けは、「DESIRE -情熱-」を象徴するステージとして記憶されています。

この年は、二人の新曲がチャート上で競った年というより、中森明菜さんが独自の表現を大きく完成させた年といえるでしょう。

1987年|聖子が「Strawberry Time」で復帰、明菜は「難破船」

松田聖子中森明菜
4月22日 Strawberry Time2月4日 TANGO NOIR
11月6日 Pearl-White Eve6月3日 BLONDE
9月30日 難破船

松田聖子さんは、1987年4月に約2年ぶりとなるシングル「Strawberry Time」を発売しました。

11月には、冬の季節を代表する曲の一つとなった「Pearl-White Eve」を発表しています。

中森明菜さんは、「TANGO NOIR」「BLONDE」「難破船」を発売しました。

情熱的な曲から、深い悲しみを静かに歌う「難破船」まで、同じ年の中でも大きく表情を変えています。

このころの二人は、デビュー当初の「アイドル」という言葉だけでは収まらない歌手へと変化していました。

1988年|聖子は24曲連続1位、明菜は「TATTOO」

松田聖子中森明菜
4月14日 Marrakech ~マラケッシュ~1月27日 AL-MAUJ(アルマージ)
9月7日 旅立ちはフリージア5月18日 TATTOO
11月1日 I MISSED “THE SHOCK”

松田聖子さんは、「旅立ちはフリージア」でシングル24作連続1位を達成しました。

公式プロフィールでも、シングルチャート24曲連続1位は、松田聖子さんを代表する記録として紹介されています。

一方、中森明菜さんの「TATTOO」は、大胆な衣装やダンスを含めたステージで注目された曲です。

「AL-MAUJ」の異国的な世界から、「TATTOO」の都会的な強さ、「I MISSED “THE SHOCK”」の孤独へと、曲ごとに異なる女性像を見せました。

1988年は、聖子さんが長期間にわたるチャート記録を完成させ、明菜さんがより鋭く洗練された表現へ進んだ年でした。

1989年|それぞれが次の時代へ

松田聖子中森明菜
11月15日 Precious Heart4月25日 LIAR

1989年、中森明菜さんは「LIAR」を発売しました。

松田聖子さんは11月15日に「Precious Heart」を発表しています。

1980年代の終わりとともに、テレビの歌番組やアイドルを取り巻く環境も変わっていきました。

二人も1990年代以降は、それぞれ異なる活動を展開します。

松田聖子さんは海外での活動や作詞・作曲、プロデュースへと範囲を広げました。

中森明菜さんは歌に加え、『素顔のままで』『冷たい月』などのテレビドラマでも存在感を見せています。

松田聖子と中森明菜は何が違った?

デビューした時期と立場が違う

松田聖子さんがデビューしたのは1980年。

中森明菜さんがデビューしたのは1982年です。

明菜さんが「スローモーション」でデビューした時点で、聖子さんはすでに「青い珊瑚礁」「風は秋色」「夏の扉」「赤いスイートピー」などを発表していました。

二人は同時にスタートした新人同士ではありません。

明菜さんが短期間で人気を伸ばしたことで、先にトップ歌手となっていた聖子さんと比較されるようになりました。

松田聖子は季節や恋の始まりを描く曲が多い

松田聖子さんの1980年代のシングルには、

  • 青い珊瑚礁
  • 夏の扉
  • 白いパラソル
  • 赤いスイートピー
  • 渚のバルコニー
  • 小麦色のマーメイド

など、季節や色、風景が浮かぶタイトルが多くあります。

曲を聴くと、その場所の光や風まで想像できるような作品が目立ちます。

恋が始まる前の期待や、ときめきを感じさせることも、聖子さんの曲の特徴です。

中森明菜は一曲ごとに異なる女性を演じた

中森明菜さんは、

  • 「スローモーション」の内気な少女
  • 「少女A」の反抗的な少女
  • 「十戒(1984)」の怒りを抱えた女性
  • 「ミ・アモーレ」の情熱的な女性
  • 「難破船」の深い悲しみを抱えた女性

というように、曲ごとに異なる人物を演じるように歌いました。

声や衣装だけでなく、目線や立ち方まで変化させ、一曲の中に物語を作り上げています。

二人の記録は単純には比べられない

松田聖子さんには、シングル24作連続1位という記録があります。

中森明菜さんには、「ミ・アモーレ」と「DESIRE -情熱-」による日本レコード大賞2年連続受賞があります。

ただし、チャートの連続1位と音楽賞の受賞は、測っているものが違います。

売上、順位、受賞歴の一つだけを取り出して、「どちらが上」と決めることはできません。

松田聖子と中森明菜は本当にライバルだったの?

松田聖子さんと中森明菜さんは、同じ1980年代に活躍したため、テレビや雑誌で比較されることが多くありました。

歌番組のランキングで二人の曲が並べば、視聴者がライバルとして意識するのも自然だったでしょう。

ただし、チャート上で競い合っていたことと、本人同士が対立していたことは別の話です。

根拠の確認できない不仲説や私生活の噂ではなく、発表された楽曲や表現方法から二人の違いを見るほうが、それぞれの魅力がよく分かります。

ちょっと一息|同じ「大人っぽい」でも方向が違った

松田聖子さんにも、

  • SWEET MEMORIES
  • 瞳はダイアモンド
  • Pearl-White Eve

など、大人びた曲があります。

中森明菜さんにも、

  • スローモーション
  • トワイライト -夕暮れ便り-
  • セカンド・ラブ

のような、柔らかく繊細な曲があります。

そのため、

「聖子さんは明るい曲だけ」

「明菜さんは暗い曲だけ」

という分け方は正確ではありません。

二人の違いは、明るいか暗いかよりも、同じ恋愛をどのような物語として見せるかにあったのではないでしょうか。

聖子さんの曲は、風景の中に主人公がいるように感じられます。

明菜さんの曲は、主人公の心の中へ入っていくように感じられます。

この違いがあったからこそ、二人は同じ時代に活躍しながら、それぞれ別の魅力を持つことができたのでしょう。

松田聖子と中森明菜に関するよくある質問

松田聖子と中森明菜は、どちらが先にデビューしましたか?

松田聖子さんです。

松田聖子さんは1980年4月1日、中森明菜さんは1982年5月1日にデビューしました。

中森明菜がデビューしたとき、松田聖子は何を歌っていましたか?

中森明菜さんがデビューした1982年、松田聖子さんは「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」「野ばらのエチュード」を発売しています。

松田聖子と中森明菜は同じ年にデビューしましたか?

同じ年ではありません。

松田聖子さんは1980年、中森明菜さんは1982年のデビューです。

松田聖子の24曲連続1位は、どの曲までですか?

1988年9月7日に発売された「旅立ちはフリージア」で、24曲連続1位を達成しました。

中森明菜は何の曲で日本レコード大賞を受賞しましたか?

1985年の「ミ・アモーレ」と、1986年の「DESIRE -情熱-」です。

2年連続で大賞を受賞しました。

まとめ

松田聖子さんと中森明菜さんは、ともに1980年代を代表する歌手ですが、デビューした時期も、曲の世界も異なります。

松田聖子さんは1980年にデビューし、季節や恋の風景が浮かぶポップソングから大人のバラードまで歌い、シングル24曲連続1位を記録しました。

中森明菜さんは1982年にデビューし、曲ごとに異なる女性像を演じながら、「ミ・アモーレ」「DESIRE -情熱-」で2年連続日本レコード大賞を受賞しました。

二人を比べるとき、大切なのは「どちらが上だったか」ではありません。

同じ時代に、まったく違う魅力を持つ二人の歌手がいたからこそ、1980年代の音楽はこれほど豊かになったのではないでしょうか。

中森明菜さんのシングルを、デビュー曲から2026年の最新作まで確認したい方は、こちらの記事もご覧ください。

関連記事:中森明菜のシングルを発売順に紹介|デビュー曲から最新作まで

参考資料

  • 松田聖子オフィシャルサイト「プロフィール」
  • 松田聖子オフィシャルサイト「シングル・ディスコグラフィー」
  • 中森明菜オフィシャルサイト「プロフィール/ディスコグラフィー」
  • 公益社団法人日本作曲家協会「日本レコード大賞」

今回の記事はこれで終了です。読んでくださってありがとうございます。

音楽
1980年代アイドル 中森明菜 昭和歌謡 松田聖子
明るいステージとドラマチックなステージに立つ1980年代風の二人の女性歌手

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